二千円札

彼は驚愕した。

今日、彼は以前したバイト代として得た郵便為替を換金に郵便局へ来ていた。
バイト代といっても3200円というごくわずかな金額である。
しかし今の彼にはそのわずかな金額がなければ買い物にもいけない。
郵便貯金にはまだ少し余裕があるが、心配性の彼はそれが残り少なくなるのを極端に恐れていた。
そのため、郵便貯金を減らさずに金を得る手段として、2ヶ月間あたため続けてきたこの郵便為替を換金するに至ったのである。


しかし、彼は換金された3200円を見て唖然としている。
なぜなら、その内訳が千円札1枚と百円玉2枚、そして二千円札が一枚だったからである。


彼は珍しいもの好きである。
縁にぎざぎざのついた十円玉や、昭和64年の硬貨、外国のお金などを、彼は大事に財布にしまっている。
かつてうっかり昭和64年の10円玉をどこかで使ってしまったことに気づいたときには、表向きには静かに涙を飲んでいたが、心の中ではびちびちとのた打ち回って暴れていた。
そんな彼が二千円札をとっておかない訳がない。
つまり、今すぐ使えるお金として3200円がほしかった彼は、今すぐ使える1200円と、半永久的に使えない2000円を手に入れてしまったのである。


実は、彼には、誰かと話していて話が続かなくなったときなどに、自分の財布から外国のお金や古銭や珍しい硬貨などを取り出して、それらをネタにまたコミュニケーションを図ろうとするという習性がある。
それでは二千円札などはうってつけのネタになるのではないかと思った矢先に、彼は呟いた。


「実はもう既に2枚も二千円札もってるんや…。でも一度もネタにすることなく、3枚になってしまった…。」


これには驚いた。彼は、既に彼自身には使えない4千円を財布に忍ばせて日々を過ごしていたのである。
そして今日、それが6千円になった。


二千円札が3枚入った財布。
二千円札が3枚はいった財布を持った彼。
二千円札が3枚はいった財布を持て余す彼。
二千円札が3枚はいった財布を持て余して踊り出す彼。
なんと希有な存在であろうか。


こうなった理由は、二つある。
以前、彼がとあるコンビニで買い物をしたときにちょうど二千円札しかなく、金がないと言って引き下がることを恐れた彼は泣く泣くそれを店員に渡したことがある。そのときに、その店員が「二千円札や!もったいなぁ!」と聞こえよがしに叫び、自分の千円札2枚とその二千円札を交換してしまったのだ。その悔恨の念が、彼に“二千円札はもう使わない”という思いを根付かせてしまった。これがひとつめである。
そしてふたつめは、彼が最近自分の財布の中身をネタに人とコミュニケーションをとることがなくなってきたということである。
そんなことをしなくても話を繋げられるようになったのか、はたまたそんなことをしてまで人と話さなくてもよいと開き直ってしまったのかは定かではないが、彼自身そういう行為は馬鹿馬鹿しい上に面倒くさいというふうに考えるようになったのは確かである。


かくして、彼は不要な硬貨や使えぬ紙幣でパンパンになった財布をぎゅうぎゅうと押さえつけて、今日もふにふにと生きている。