四条界隈のたのた祭‏

彼は今日、彼の地元の友人と三条駅で会うことになっていた。

午後三時半頃友人と落ち合った彼は、新京極から四条通り、烏丸通りを通って新風館へ向かった。


三条通りをまっすぐ新風館へ向かわないこの計画性のなさが、のたのた祭の醍醐味であり、のたのた祭がのたのた祭たる由縁でもあるのだ。ちなみにのたのた祭というのは私が今勝手に付けた名前であることをここに断っておく。


新風館で雑貨屋を二軒回り、何も買わずに満足した彼らは今度は姉小路を東へと向かい、京都文化博物館フリーマーケットなどを冷やかしながら三条通りへと下り、そろそろ夕方の6時を回っていたので寺町通りのお好み焼き屋“とんとん”にて夕食をとった。


彼らは旧来の友人であるはずなのに、そして実に半年ぶりに再会したにも関わらず、たいした会話もなく、どことなく他人行儀にぎこちなくときを過ごした。私には不思議でならないのだが、それが彼らの接し方なのだろう。黙ってお好み焼きを食べる彼と、その友人。そして時々交わされるぎこちない会話。簡単に想像できすぎて可笑しい。


夕食を終えた彼らは、またのたのたと歩き回り、蛸薬師通りの雑貨屋や河原町OPAなどを冷やかした後、四条木屋町にあるバー“ムーンウォーク”でカクテルなどを三杯ずつ飲んだ。そして彼の友人が「ここいいなぁ」などと言うのを聞いて嬉しくなった彼は、おつまみのビーフジャーキーをいつもより多めに噛み、二人で1750円の勘定を半分ずつ支払った。


店を出た頃には9時を回っていたというのに、彼らは先斗町をうろうろして鴨川に等間隔に並ぶ恋人たちに「風邪ひけ!」などと悪態をつき、何の目的もなく祗園へと向かい、「高そう」「高そう!」などとはしゃぎながらいつのまにか八坂神社に至った。


彼らは修繕工事中の八坂神社の門を途中で買ったコロッケをむしゃむしゃと食べながらくぐり、初めての夜の八坂神社に興奮し、円山公園の暗さにビビり、トイレで小便をした後に公園から出て道を渡り、雰囲気のいい路地へと吸い込まれていった。


その路地を進むと健仁寺というお寺がある。彼は誰もいないのをいいことに石畳の上をころころ転がり、「ひんやりして気持ちいい!」とはしゃぎまくっていたが、遠くの方から人が歩いて来たので恥ずかしくなって花見小路へと逃げ込んだ。
しかし夜になって頭の中の繋がってはいけない回路がバッチリ繋がってしまった彼は、花見小路で舞妓さんを見かけては「あ、舞妓さんや!殴らんの?殴らんの?」と騒ぎ、その彼に「舞妓見かけたら殴るってどんな国や」と友人がツッコミを入れつつ三条駅へと戻った。


その後、「じゃんけんで勝った方の家に行く、あいこならどちらにも行かない」という前代未聞の一発勝負ルールのもとじゃんけんが行われ、彼が勝った。

彼らは、彼の家で、途中にコンビニで購入したビールと酎ハイを飲み、テレビを観たり音楽を聴いたりして過ごしていた。重ねて言うが、彼らは旧来の友人であるはずである。そして実に半年ぶりに再会したはずである。それなのにたいした会話もなく、どことなく他人行儀にぎこちなくときを過ごす。彼は言った。「それでいいんやと思う。確かにちょっとしんどいときもあるけど、別に話すことがない。」と。彼はこうも言った。「これがぼくらの昔からのカタチなんやと思う」と。


夜も更けた頃、彼らはそれぞれに眠りについた。