本降り

今日は、雨が実によく降っている。
こんな日は大学内の人通りも少なく、昼休みになんらかの宣伝のために叫ぶ団体も出没しない。


彼に言わせれば、あんな奴らは自分たちが道行く人に一体何を伝えたくて叫んでいるのかもわからなくなっている、つまり叫ぶ内容を誰かに伝えることではなく、叫ぶという行為自体に目的をもっている自己欺瞞に満ち満ちた奴らなのだから、いなくなってちょうどいいのだが、無益なものでもなくなると少し淋しさを感じるのが世の常なのだそうだ。
それならば私ももののあはれを少しは感じたいところであったが、こうも冷たい雨では感じるものは寒さによる身体の震えばかりであったので、外で感慨にふけるのは早々に切り上げた。


さて、私が今座っている教室に、私の鼻をくすぐるものがある。どこからか漂う、懐かしい匂い。
きっとこれは、誰かの服の匂いである。
はてさて、私はこの匂いをかつてどこで嗅いだのだろう。中学か高校のときの友人だろうか。はたまた、街ですれ違った人の服の匂いが、私の鼻に残っていたのだろうか。

匂いというものは、不思議なものだ。
私の感じる匂いは私だけのものであり、それは誰にも伝えることができない。
それは、私以外の誰にでもあてはまる。
匂いの数値化はできても、その観念の固定はできないだろう。もしかすると、匂いこそ人それぞれの、唯一独自の固有の記憶なのではないだろうか。


いや、違う。違うに決まっている。

しかし、一瞬考えれば違うとわかることを考えないことによって、人は歴史を誤ってきたのではないだろうか。大変残念なことに、私は今、自分が何を言っているのかよくわかっていない。