戯言

奈良線に乗っていた彼が小さく「緑の電車はきっと、パセリの味がするに違いない。」と呟いたが、私は敢えてそれを否定も肯定もしない。

彼の言うすべての共感不可能な言動にいちいち突っ込んでいてはキリがないし、突っ込んでしまった時点で何故だか負けたような気分になる。


放っておけばそのうち恥ずかしくなって静かになるのが普通だと私は心得ているが、彼は“私の考える普通”にはあてはまらないようだ。

放っておけば放っておくほど、思い付いたことをそのまま口にしているその内容がエスカレートしている。


「風車(かざぐるま)の大きいやつが“ふうしゃ”と呼ばれるなら、電車の小さいやつは“でんぐるま”と呼ばれてしかるべきではないか!」彼はそう言い残すと、雑踏の中に消えていった。


彼の言ったことを考えていた。どう考えてもおかしくないだろうか。しかし彼の突拍子のない考えは、どこから生まれてくるのだろう。

気付いたときには、私は電車を乗り間違えたという悲しい事実に直面していた。
落胆を周りの人に悟られないように注意しつつ、階段を下りて反対側のホームに向かう。
改札に向かう波に逆らい、ごく小数ではあるが私と同じ過ちを経験したと思われる人がぽつりぽつりと人のいないホームへの階段を上る。


私は、彼らとの心の連帯を勝手に感じ、ホームの階段を下りてすぐまた逆側のホームへと向かう恥ずかしさを噛み締めた。


秋の風が、冬のそれに変わろうとしている。