本棚のせい

今朝から彼は全身の筋肉痛にうんうんと唸りをあげている。それは、一週間程前に彼が散らかりきった自分の部屋を眺めて、
「部屋が散らかっているのは、本を片付ける場所が足りないからだ!」
と高らかに宣言したことに端を発する。


確かに、彼の部屋にある小さな本棚兼薬棚の許容量をはるかに越える文庫やハードカバーの小難しい本や小説、そして彼がトイレの友として全幅の信頼を寄せる漫画達が平積みになったり個人プレーで様々な場所に潜んでいたりした。しかし彼の発言は、本以外にもこれでもかというほど散らばっているペットボトルや段ボール、衣類や不要な書類を無視したものであり、いやむしろそれらが散らかっているのもすべて本棚が足りないことに原因があるかのように物事の本質をすり替えたものであった。


全ての原因を本棚が足りないことになすりつけた彼は、
「本棚不足のせいで部屋が片付かないのだから、本棚を買うまでは部屋を片付けるわけにはいかん」
と、もともといろんなものを散らかしておいた自分の責任を全てまだ見ぬ本棚になすりつけ、さらに一週間程これっぽっちも部屋を片付けずに過ごした。ゴミ屋敷三歩手前と言ったところだ。


そして昨日、彼は四条通りの西方にあるジャスコ系列京都ファミリー内のニトリにて高さ175cm、幅60cmの白い本棚を購入した。
急がしそうなお店の人におそるおそる家まで送ってもらうといくらかかるのか尋ねると、財布の中身に一抹の不安のある彼にとっては巨額の送料がかかるというので、彼はそれをみけいぬさんの援護を伴って家まで持ち帰ることにしたのである。


細い包装のテープが手に食い込む、とにかく大きな約30キロのそれを持ち、四条葛野大路から市バスで四条河原町、そこから京阪に移動して途中幾度となく休みながら、最後はあまりの重さにほとんど意識を失いながら家を目指した。


やっとのことで家についた彼は、遂に部屋を片付けた。これでもかというくらいにこてんぱんに片付けた。
そして彼は組み立てた。引きずるようにして持ち帰った念願の本棚を汗だくになりながら組み立てた。
ドライバーを回す手の感覚が無くなり、もはや自分に手がついているのかいないのか解らなくなっても、彼はその手を止めなかった


時計の針が午前5時の目前に迫った頃、とうとう彼の部屋は生まれ変わった。散らばっていたゴミはゴミ捨て場に往復2回で全て捨てられ、溢れていた本は綺麗に新しい本棚におさまった。
そして朝起きると、身体がいうことを聞かなくなっていたということである。


しかし、それくらいの運動とも呼べぬ動きで全身の筋肉痛にうめき声をあげさせられるとは、嗚呼、なんとやわな彼の身体よ!
身体が強くなるように、稲荷大社にお百度参りでもすれば、狐の御加護のお陰か稲荷の山の険しさのせいかわからぬうちに鍛えられるだろうと思うのだが、私なら絶対にやりたくないので彼にも勧めたりはしないのである。