マーリー

彼は、新京極のMOVIXで『マーリー』を観た。
彼の保護者である、めんまるさんがそのかわいさに感銘を受けたからである。


この映画は、特に感動するストーリーであるわけでもなく、衝撃のラストがあるわけでもない。
原作のエッセイがあるらしいのだが、ただ犬が家に来て、家族と共に時を歩むというどこにでもある話である。
だからこそ、多くの人に共感するものがあるのかもしれない。
めんまるさんなど、マーリーのたった15秒のCMだけで泣いてしまったらしい。
それは早過ぎるのではないかとも思うが、犬を飼ったことがある人なら、自分の犬とマーリーを重ねることは至極当然であると言えよう。



映画が始まり、序盤こそマーリーの奇行に何度か笑い声も起きていたが、エンドロールの後にすぐに立ち上がれる人はほとんどいなかったという。

映画を観て泣いた記憶の乏しい彼でさえ気付いたときには涙でスクリーンが見えなくなっていたし、めんまるさんに至ってはあらかじめマスカラを塗らず、涙用にタオルを持参していたらしい。



犬というものは、元気なときは当たり前のようにそこにいて、日々の中に溶け込んで、時には世話が面倒に感じることさえある。
それなのに、気づけば突然年老いていて、エサを食べなくなり、痩せ、体力がなくなり、散歩を拒むようになってしまう。
そうなって初めて、時の無情やその犬の存在の大きさを実感するのである。

映画の中でマーリーが年老いたとき、多くの人が自分の経験を重ね合わせただろう。
その悲しみは人生においてそう何度も経験するものではないし、その犬を心から愛していなければ経験できないものである。


そして実はその感情は、人に対しても同じなのである。
人の6倍のスピードで歳をとると言われている犬は、それを私たちに気付かせてくれる存在でもある。
古く狩猟生活をしていた時代から常に人間のパートナーとして存在し続けてきたのが、やたら長生きする亀や鳥ではなく犬であるという事実には、そんな理由もあるのかもしれない。
そしてやはり犬だからこそ、人間にとって家族となり得たのだろう。
大切な家族を失うことは悲しいけれど、犬はきっと、その家族にとってそれ以上のものを与えてくれる存在なのである。




エンドロールのあと彼は、この映画は、いろんな角度から“命の尊さ”というものを教えてくれる物だと思った。
そして泣き腫らした目を擦り、絶対に将来また犬を飼おうと決めた。
しかしその前に、実家で今飼っている老犬を大切にしようと思った。



映画館から出た彼らは、外に貼ってあったマーリーのポスターに書いてある、「キミも、ちゃんと幸せでしたか?」という文字を読んでまた泣きそうになった。