法事NEXUS

彼は今東京にいる。
彼の親の実家で祖父の17回忌が行われるため、昨日家族で上京したのだ。


法事の朝、車で一時間ほどかかる祖父の墓に行き、綺麗に掃除してからお坊さんにお経をあげてもらう。


お坊さんが「あ〜い〜う〜う〜う〜」と唸る。
もにゃもにゃもにゃと唄う。
予報に反して空は晴れ渡っていて、春の陽射しに桜の蕾がふくらんでいる。


お経の間、彼の集中は時々上空を横切る自衛隊機の音や“お地蔵さんの顔”に見えて仕方がないお坊さんの後頭部などによって度々途切れはしたが、祖父のことを想い出していた。



「自分が生まれる前には2人の人がいます。

その前には4人、さらにその前には8人、16人、32人…遡っていくと何億人もの人がいて、その誰か一人が欠けてもあなたは生まれてこなかった。


法事で大切なことは、故人を偲んで、自分の中に代々の命が脈々と流れていることを感じることです。」

お経の後にそう話すお坊さんの言葉が、妙に胸に響いた。




昼過ぎに家に戻った彼はみんなとご飯を食べ、従兄弟とバッティングセンターに行ったり公園で野球をして予想外に汗をかいた。
さらに夜はみんなで魚民に行って酒を飲み、祖父を忍びつつ弟や従兄弟の卒業&入学祝い&祖母の誕生日祝い(かなり過ぎている)を開いた。
その途中、彼の母やその妹は料理の到着が遅いと店員に散々文句を言い、彼を含めたほとんどの親戚が、向かいのBOXに座っていたでかい声で下品な話をする上、度を越してふくよかな女性に対する非難を口々に吐き棄てたが、みんなが機嫌よくいろいろな話ができた。


さらに魚民を出た後は、カラオケで喉を枯らして2キロ歩いて帰るという、一日を通して親戚が集まったときの典型的な(だと彼が信じている)テンションで楽しい時間を過ごした。


法事とは、亡き者が家族の絆を深めるとてもよきものであるなぁと、彼は初めてその意味を知った。