ルーヴル展と憂い

piedra-blanca2009-07-11

彼は憂いている。
今彼が憂いているのは、財布の中身についてである。


財布の中身も少ないが、貯金も少ない。


夏休みにいろいろな所に出掛けたいと思うと、“心許ないこと生まれたての小鹿のごとし”である。


彼は、来週の祇園祭と東京に行く費用を計算し、「ピンチなり!ピンチなり!」とつぶやいた。


しかしそう言いながら、彼は京都市美術館へ向かう。
ルーヴル美術館展が開かれているのだ。


「文化的な活動を削ってまで倹約して生きることは信条に反する。」というのが彼の信条である。



そしてまた、
「なんとかなるやろ。」
という楽観主義も、彼の考え方の根本となっている。






ルーヴル美術館展は、大変盛況であった。
そういえば彼は去年スペインに留学していた際に、パリのルーヴル美術館を訪れたことがあった。
そのときは6時間ほど必死で絵画や彫刻などの美術品を見てまわり、その広さと展示品の多さ、有名さに度肝を抜かれたのであった。
しかし、今回京都市美術館に展示されているもののほとんどに見覚えがないというていたらくである。



彼は、71点の作品のなかでも特に「大工ヨセフ」という作品に心を奪われた。


この作品は1642年頃にフランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールによって描かれたもので、キリストの父であるヨセフと幼いキリストが蝋燭の明かりを中心に向かい合っている。
蝋燭の明かりで手が透けている様子や、周辺の暗い部分が見る者の心を捉えて放さない。
また、ヨセフが穴を開けている角材は十字架を連想させ、ここに幼子の将来がすでに暗示されているらしい。
しかし彼はそんなことはつゆ知らず、
「すごい!写真と違って影が全然黒くない!深い!」
「手も透けてるし、何これ!?天才やな!でもヨセフは何作ってるんやろ?」

と一瞬で学のなさを感じさせる感想をこぼしながらひたすら眺めた。


やはり写真と実物は全く別のものなのだ。
本物に触れることがいかに大切か、ということを強く感じたルーヴル美術館展であった。