腐れ大学生の堂々巡り

夜行バスで今朝京都に着いた彼は、一緒にNANO-MUGEN FES.に行った友人とさらに他の友人と、午後に三条で待ち合わせてカラオケに行った。

NANO-MUGEN FES.帰りの彼らは疲れをものともせず、おかしなテンションで飛び跳ねながら6時間もカラオケを楽しんだ。


すっかり日も暮れた頃にカラオケ店を出た彼らは、新京極を六角通に折れたところにある定食屋で夕飯を共にした。





気がつけば23時である。


彼らが集まるといつもこうだ。
話し始めると、止まらなくなる。
別の話をしていたはずなのに、気がつけば「普通とは何か」「"変わっている"とはどういうことか」といった、中高生による討論会のお題みたいな話になり、答えが見つからないまままた別の話に移っていく。
話の始まりと終着点を最短距離で結べば結論はすぐに出るはずなのに、すぐに脇道に逸れてしまうのだ。
逸れた話はまた別の脇道に入ったり出発点に戻ったり、いろんなところをぐるぐる回るが決して終着点に行き着くことはない。


そうして彼らの会話はふわふわと浮いたまま着地することなく堂々巡りをし続ける。
「これこそ、腐れ大学生のすべきことだ」と、友人の一人は言う。

確かに、こういうことは今しかできない。
「しかし」
友人は続ける。




「しかし、それにしても疲れるなぁ」