東西統合20年

東西分裂の象徴であるベルリンの壁が崩壊してから、今日で丁度20年らしい。


東ドイツにも“自由”が訪れた、記念すべき日だ。


そう、ベルリンの壁崩壊に関して、我々は概して良いイメージか持っていないものである。




もちろん、多数派のものの見方というのは、歴史において非常に重要なものであることには間違いない。
しかし、どんなものごとにも、一元的には捉えられない様々な面があることもまた事実。



東ドイツに“自由”という名の“資本主義”が入り込み、一時は喜んだかもしれない人々は、この20年間ずっと喜び―自由を享受し―続けることができたのだろうか。


金を得たものが勝者として自由を謳歌する資本主義。
勝つも自由、負けるも自由の理屈は、いったいどれだけの人々を幸せにしてきたのだろうか。


格差の下側にいない者にとっては、それは単なるわがままでしかないのかもしれない。

しかし、旧東ドイツに住んでいた人の中には、こう思った人もいたはずだ。


「こんなことなら、自由なんていらなかった。」


私にはその感覚を慮ることしかできないが、知ること、考えることは、想像をよりリアルなものにするために重要な過程である。



そして幸い、我々にはまだ“社会主義”を体験するチャンスが残されている。
現在、世界の中でいわゆる“社会主義”の体制をとっているとされているのは中国、朝鮮、ラオスベトナム、そしてキューバなどの国々だ。
しかしこれもまた一元的なものではなく、それぞれの国に様々な形がある。


また、こういった国々には様々な見方がある。
社会主義というだけで悪いものだと、取り合わない人もいる。

しかし、これはそんな単純な問題ではないはずだ。

もはや、“資本主義”と“社会主義”の二つに分けてどちらがより優れているかを競う時代ではないのだろう。


かつてアメリカの大統領が「社会主義的だ」と鼻で笑った国民皆保険を、日本を初め多くの資本主義国は取り入れているし、今その実施に向けて力を入れている国、それはまぎれもない、アメリカその国である。
“資本主義”であるはずの国々も、景気の悪化などの理由で様々なピンチに面したときに、“社会主義的”な政策を取り入れることもある。




ものごとには様々な面があり、我々はえてして、最初に手にしたその一面のみをものごとのすべてだと思いこみがちである。



そういえば高校の時、『グッバイ、レーニン』という映画を観た。

東ドイツにおいて、ベルリンの壁崩壊時に昏睡状態にあったため事実を知らない母親にショックを与えまいと、必死にそれを隠そうと奔走する息子の物語で、東西統合という大事件を東ドイツ側からの視点でコメディとして描いた作品である。
非常にウィットに富んだ風刺溢れるコメディ映画で、当時の東ドイツの雰囲気を知ることができる。


ベルリンの壁が崩壊したときにはまだ人として意識がなかった私が、『グッバイ、レーニン』を観たあの頃にはほとんど考えたことのなかったことを、今こうして考えている。
そうだ、私にもまた、ベルリンの壁崩壊後の20年があるのだ。


知らないものを知りたいと思うこと。
人として健全で前向きな活動を、止めることなく生きていきたい。




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