見下ろす外国人

からしとしとと雨が降る土曜日。
彼は、一週間の心身の疲れを取るべく、片手間に勉強をしながらスペイン語トイストーリー2を観たり、弟とゲームをしたりして休んでいる。




今日は、彼が先週京都駅で目にした光景を紹介したい。




それは、彼が京都駅南の大型ショッピングモールから戻り南北連絡通路のエスカレータを上った時であった。

ふと右を見ると、京都駅の南端にある大きなガラス窓から、外国人の家族が下を見ていた。




それはもう、まじまじと。








そこから下を見ても、あるのはタクシーとバスのロータリーくらいである。



しかし、見ている。


あまりにも、見ている。


特筆すべきは、本来なら手前のベビーカーに乗せられていると思しき幼子までもが、しっかりと自分で窓の下を見ていることである。


たった今下から上ってきた彼にさえ、「もしかすると下で何かが起きているのではないか」と思わせるほどの説得力。



しかしこの家族はなぜ、敢えてこの場所で窓の下を見ているのだろうか。
彼に考えられ得た可能性は二つである。


一つは、窓の下に彼らを京都の他の何よりも惹き付けるものがある可能性。

そしてもう一つは、母親が買い物かトイレに行っている間、あまりにも暇なのでとりあえず窓の下でも見ている、という可能性である。


常識的に考えれば、後者の可能性が優勢であろう。
しかし。

この家族は、「暇だから何となくただ単に下を見ています」という説明では片づけられないほどの空気に包まれている。

大げさなリアクションこそしないが、家族でエンターテイメントを楽しんでいるような雰囲気すらある。



少し引いて見ても、やはりそこだけ少し異様な空気に包まれている。



彼は少し心配になった。

この家族の、日本旅行の一番の記憶が、ここからの風景になってしまいやしないか、と。


そして思った。


まぁ、いいや、と。