社会と仕事


快晴の土曜日だというのに、彼はお城の見える支店にカンヅメで、“コミュニケーションスキルアップセミナー”に参加しなければならなかった。


この研修で彼が感じたことは、“この仕事は、どこまで行っても社会を後から追いかけているのだな”ということだった。


今日出てきた例は、「2012年4月から、70〜75歳の人の医療費自己負担率が1割から2割に増えます、さあどうしますか?」というものであった。


入ってくるものは増えない(むしろ年金は減っている)。
預金を切り崩しての生活。


さらに負担が増える。


さぁ!


資産運用しませんか!!


“社会がこうなって大変だから、それに合わせて運用しましょう”と社会制度の不安をあおる。

投資信託や保険を売るための、ひとつの切り口である。



しかし彼はふと考える。
“じゃあなぜこうなったのか?”

“これはおかしい、なんとかしなければ!!”


研修で習う「こうやって売れ!!」という“コミュニケーションスキル”がどうも腑に落ちない彼は、ぼんやりとこんなことを思ってしまった。


高齢者が負担を強いられる社会にしてはならない。


投資信託みたいなもので個人的にせっせと資産運用しなければ暮らしていけない社会は、何とかしなければならない。


そして、社会の不安をあおって、そこにつけ込む商売で飯を食っていてはいけない。

もちろん、彼のやっている仕事はそれだけではない。

多くの人から求められ、社会に必要とされている仕事でもある。
それは彼自身もわかっているつもりだ。


しかし、彼と仕事の間にあった“ひずみ”が、少なからず大きくなっていることに気づいた、梅雨の晴れ間であった。