台風12号ボランティア

彼は、ボランティアとして紀伊半島南部を訪れた。


9月の初めにのろのろとやって来た台風12号により、大きな被害が出た地域の復興支援である。


幸い、彼の住む地域では特に被害が出なかった。


それも影響してか、今回の被害がすごく身近で起きていることなのに現実味が感じられず、被害の映像をぼんやりとテレビで観て、「大変やなぁ」などと思いながらも次の日もいつもと変わらず仕事をした。



「大変ですよね」などと同僚やお客さんと話していても、言葉が空回りしているような違和感があった。



それ以来、感覚と現実の間に歪みが生じているような気がしていて、半月ほど経って職場でボランティアの話が出たときに、「自分の目で確かめなければ」と思ったと同時に、今、微力でもなにかしなければ、絶対に後悔すると思った。



当日。


04:30にバスが出発し、ボランティアの現地に到着したのが10:30。



まだまだそこに至るための道が復旧されておらず、どうしても大回りになるらしい。


現地のボランティアセンターから作業を行うお宅を振り分けられ、向かう。
彼を含めて17人で、一軒を担当する。







作業場所に到着すると、完全に浸水してしまったであろう建物の前に、泥のついた家具などが運び出されていた。


最初の作業は、家の中に残っている家財を運び出すこと。


台風が来てから既に一ヶ月が経過しているにも関わらず、まだ運び出せていない家財があるということに彼は驚いた。


復興の足取りは、思っていたより遅い。



そこからの主な作業は、生活の場であったであろう場所に容赦なく積もっている泥を、土嚢やバケツに入れて撤去するということ。


この辺りの家は、川からかなり高い位置に作られた道路の高さを一階として、その下、つまり堤防より低い位置に地下一階のような形で部屋が作られている。


堤防を越えた泥は、一階部分はもとより、その地下部分に大量に流れ込んで、堆積していた。




居間か、寝室であったとおぼしき部屋の泥の中からは、家族のアルバムが出てきた。


運び出されたものの中に、昔使っていたであろう三輪車があった。



一つひとつに、なんとも言えない感情が湧いてくる。



川のほとりで休憩をすると、まさかこの穏やかな川が氾濫するなど、夢にも思えなかった。

家の場所は、川からかなり高い位置にあり、川幅もかなり広い。



ボランティアに行く前に話した人の中には、
「淡水だからましだろう」
と言う人もいた。


しかし、実際に被災状況を見て、今回彼らが作業をした家のように、一度でもあれだけの泥に覆われてしまった家に、果たしてもう一度住むことができるのだろうか。
何に対して、「ましだ」などと言うことができるのか。


家の全壊・半壊はもちろん、家族の思い出や、家族そのものを失った人も大勢いる。






災害から一ヶ月も経って、まだ手付かずの家があったことから考えて、ボランティアの集まりもそれほどよくないのではないかと察する。

募金もどれくらい集まっているのかわからないが、


まだまだ、たくさんの人の力が必要だ。


今回、彼らの実働時間は決して長くはなかったが、それでも、たくさんの人数で力を合わせれば、ひとつの家族が暮らしていた場所からだいたいの泥を撤去することができた。

同時に、「短い気もするけど、これくらいの時間が限界だ」とも感じた。
10月に入り暑さはかなりましだったが、水を含んだ泥の重さ、その臭い、乾いた泥の粉塵、泥に足をとられながらスコップを使うという、慣れない作業。
食欲をなくす人、熱中症や貧血になる人。

それは本当に、名実ともに大変な作業なのである。




様々な方法があると思う。


どんな方法でもいいから、少しでも、力を被災地に送ってほしい。


実際にボランティアに参加してみて彼が得た、素直な想いである。