走らないメロス

 彼は激怒した。かの邪知暴虐かつだらしない国家の犬を必ずや懲らしめねばなるまい。
 しかし小心者…英知溢れる彼は、暴力によって直接殴り込むことはせず、かつてグラハム・ベルによって開発されたのだという文明の利器を利用した巧みな作戦で、怒りを伝えると共に相手の非を正そうと試みたのだと人は言う。


彼「きちんとした説明がなかったではないか!!」
女「説明するはずですけどねぇ。あと黒板の横にも書いてあるんですが。」
彼「いいや、今回ばかりは説明が為されなかったと断言する。なにぃ、黒板の横だと?そんなもの、きちんと伝わらないような伝達は無意味だ!その説明がなかったばかりに私は2時間も無駄な時間を過ごさねばならなかったのだ!重要な説明というものはきちんと伝えてもらわなければ困るではないか。」
女「じゃあ係の者に言っておきますー。」

…ブチーン!


…説明しよう。これは、彼が怒りながらも冷静に、かつ木綿のように優しく、相手の非を示唆してあげているにも関わらず、相手は自分の非を全く認めようとせず、ぺらぺらと責任を転化し、「ごめんなさい」の一言すら発する気配を見せないことに、彼の忍耐もとうとう彼を押さえていた手を離したときの音である。


「ふざけんな!」


彼はそう言い放った。


彼は、ちっぽけな彼にでき得るだけの一矢を権力に報い、正しようのないこの国の腐敗を嘆いたのである。