ラーメン女

正面から、六、七人の女の子が賑やかにやってきた。
稲荷大社の近くを歩いていたときのことである。
もう夜の九時を過ぎていたので暗くてはっきりしなかったが、察するに彼女らは大学生で、平日にも関わらず京都観光を敢行し、最後に夜の稲荷大社を参拝して来たのだろう。
六、七人がひとかたまりになって、今日がいかに楽しい日であったかを周りに誇示するかのように大きな声で笑い合い、縦横無尽に和気あいあいのクロスカウンターが飛んでいる。
彼女らに近づくにつれて闇夜も次第に明るさを伴ってくる、そんな錯覚に陥るほどの弾け様である。


そんな彼女らとすれ違おうとしたまさにそのとき、不意にその中の誰か一人が叫んだ。



「ウソ!!本日休業!?」



辺りは一瞬にして静まり返り、夜は闇を取り戻す。張り詰めた空気が肌に伝わってくる。


振り返ると、彼女らはあるラーメン屋の前で立ち止まっていた。

顔を見ていないにも関わらず、彼女たちの引き攣った顔が思い浮かぶ。


私は推察する。

ここのラーメン屋で憧れのラーメンを食べる。それが彼女たちの思い描いていた“本日の締め”だったに違いない。
いやむしろ、今日の京都観光自体が、このラーメン屋に向かうための単なる布石であったといっても過言ではない。
「全ての道はこのラーメン屋に通ず。」

そのために、伏見稲荷を最後に回したのだ。
そのために、昼に平安神宮の近くで天ぷら定食を食べて以降は何も口にしていなかったのだ。
そのために、清水寺からわざわざあるいてここまで来たのだ。
そうなのだ。誰が何と言おうときっとそうに違いない。



人生は、思い通りにならないことだらけである。
生きていれば、自分の力ではどうしようもない困難にぶつかることもある。



もしもラーメン屋が開いていたら…彼女たちは涙ではなくスープを味わうことができたのに。
もしもラーメン屋が開いていたら…些細な仲たがいで友情が壊れることもなかったのに。
もしもラーメン屋が開いていたら…即日弟子入りした彼女らのうちの何人かは、六年後に自分達の店をオープンできたのに。
しかもその店は、昼はラーメンCAFE、夜はラーメンBARとして世界初の試みを行い、“ラーメンと宇治抹茶が一緒にいただける店”、もしくは“ラーメンとモンブランが同時に味わえる店”として雑誌に紹介され、さらには“ラーメンとグラスホッパーの奇跡のコラボ”などとテレビで紹介されて世間にその名を博した後に“世界一回客の転率の悪いラーメン屋”としてギネスブックにのることになったのに。
彼女たちが築き上げた理想の未来像が崩れ落ちる音が、確かに聞こえる。



もし、あのときこうなっていたら…。空想は尽きない。
しかし、人生に“たられば”はないのだ。



私は、少し歩いてもう一度振り返る。

ラーメンに向けた熱い想いのやり場を失った彼女たちは、いまだ絶句したままラーメン屋の前で立ち尽くしていた。





人間とは、つくづく勝手な想像を展開する生き物である。