問題解答先延ばし

彼が就活を終えた。
一応は第一志望であった地元の金融機関に内定をもらったのである。


“一応"というのは、「本当は誰も働きたくなんてないのに、こんな早い時期から必死になって職を探さなくてはいけないのはおかしい!」と彼が以前言っていたからで、その理論に基づくと真の第一志望は“働かないこと"であると想像できるからである。


彼のような人間が、この不況のおりに、こんなに早く就活を終えられるというのはなんだか世の中間違っているという気がするが、意外にも彼はそこ以外からも内定をもらっている。さらに、最終まで選考が進んでいる企業もひとつやふたつではないという。


と、いうことは。
彼はこれから、内定や選考を辞退する連絡をあちこちにしなければならない。
それはもちろん、既に内定を得た学生にのみ与えられる権利であり義務であるのだが…しかし彼は憤る。


「企業からの連絡は『選考を通過されたときだけ連絡します』って言うくせに、学生から断るときは“礼儀"だとかできちんと連絡しなければならないなんて、不公平だ!!」

確かに彼の理論には一理あるのではないかと私は思う。


一般的に考えれば、企業の人事の人が自分一人のために、少なくともその時間は空けて待ってくれているのであるから、マナーとして事前に連絡を入れるというのが当然であろう。
しかし、それはこちら側だって同じである。
いつも不安に打ちひしがれ、悶えそうになりながら、いつ来るかもわからない、来ないかもしれない連絡を今か今かと待っているのだ。
仮に良い知らせが来ればその苦しみはなかったものの如く消え得るだろう。
しかし知らせが来なかった場合には、苦しんだ時間と共に、もれなく疲労感や絶望感や閉塞感や、諸々の負の力が覆いかぶさってくる。


「こっちだって企業にそれくらいの“やきもき"をさせる権利があるはずだ!そもそも学生が連絡して来なかったところで企業にとっては痛くも痒くもないクセに!なんだ!いつも待たされるのはぼくたちだ!おぅおぅ!」
彼は興奮して吠える。



我々学生は常にとても弱い立場にいて、就活中は説明会や面接ばかりではなく、普段の生活でもいたるところで常に体力や精神力を消耗しながら、彼の言葉を借りれば「心臓が潰れそうになりながら」過ごしている。


企業への連絡は礼儀だとかマナーだとか言うが、それならば企業からもきちんと学生に連絡をすべきではないか。
きちんと連絡をしない学生は、企業から見れば“なっていない社会人"なのかもしれないが、我々の視点から見ても、きちんと連絡をしてくれないような企業は“なっていない社会人"なのである。
したがってこちらから連絡をしようとは思えないし、今後社会に出てからも付き合って行きたくはない。


自分達にとって都合のいいことしか考えていない企業に、あまつさえ知らぬ間にいつも上の立場にいてその格差をひけらかす企業に、媚び続けなければいけない筋合いはない、と彼は言う。








何の感情も移入せず、不要なものを切り落とす。
きっと簡単なことだ。
その原動力は“人間"ではなく“金"で、そこから見ればきっと一人ひとりの人生など、小さく霞んでいるだろう。
しかし、我々にとってたった一度しかない人生は、部屋の片隅のホコリよりも簡単に翻弄される。
着地点もわからぬまま、ふわふわと舞う。
一体どこに降りればいい?
降りたところで、何がある?



企業は、そしてそれを擁する社会は、絶望の淵に立たされた一塊としての“我々"に、早く気持ちを切り替えて“前向きに就活を続けること"を求める。

ほとんど残っていない体力を無理矢理に振り絞り、精神を麻痺させて、がむしゃらにその求めに応えられる人が良い学生だ。
それにうまく応えられなかった人は“頑張らなかったダメな人"として職のないまま社会に放り出されてしまう。
時代を恨む。

そんな自分が、嫌になる。




我々は憂う。
しかし、かなしいかな、ただの憂いは変化をうまない。
我々は自分のことに精一杯で、我々にもまた、全体が見えない。


今日も懸命に生きて、いつの間にか夜だ。
寝よう。
問題解答先延ばし。