別れは突然に。
訃報
フジファブリックのボーカル・ギターの志村正彦は、
12月24日に永眠致しました。
(検査の結果は病名不詳)享年29歳でした。
謹んで皆様にお知らせ致します。
これまで志村正彦、フジファブリックを応援してくれていた方々に感謝致します。なお、葬儀につきましては、親族と関係者で執り行う予定です。
ファンの方々へ
今回のあまりに突然の訃報に、メンバー・スタッフは動揺を隠せません。
今後の活動については未定ですが、
金澤、加藤、山内の各メンバーは、これからも音楽活動を続けていきますので、
これからも応援をよろしくお願い致します。
2009年12月25日
スタッフ一同
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予定されていた12月29日のインテックス大阪での「RADIO CRAZY」、
12月30日の幕張メッセでの「COUNT DOWN JAPAN 09/10」への
フジファブリックの出演はキャンセルとなります。
このキャンセルによるチケットの払い戻しはございません。
あしからずご了承下さい。<<
フジファブリック公式ホームページ:http://www.fujifabric.com/
実家に帰ってのほほんと年賀状を書いていた彼は、弟がこのニュースを口にしたのを、信じることができなかった。
「フジファブリックの出演はキャンセルとなります。」という、まさに「12月29日のインテックス大阪での『RADIO CRAZY』」に、彼は行く予定であった。
自分でyahoo!ニュースを見ても、まだその意味を理解することができなかった。
何度も、今日が4月1日であるという可能性を探ってみた。
サカナクションとフジファブリックが観たいがために行くことを決めた、RADIO CRAZY。
その「楽しみな予定」が、志村氏の「死」を自ら目の当たりにして確認するための「悲しい予定」に変わろうとは、一体誰が予想しただろうか。
思えば、高校2年の時に初めてファーストアルバム『フジファブリック』を聴いて以来5年間、彼の心からフジファブリックの音楽が離れたことはなかった。
スペインに留学したときに、他の日本人観光客から白い目を向けられるのをモノともせずに路上で弾き語った曲の中にも、フジファブリックの『茜色の夕日』と『若者のすべて』があったし、授業中に携帯電話から『パッションフルーツ』が鳴り響いて奇異の目をほしいままにしたこともあった。
今年の夏に彼が周りの理解を得られずに苦悩したときには、『バウムクーヘン』によって心を癒された。
11月には、龍谷大学の学園祭において、彼らの音を最前列で堪能した。
そして今突きつけられた現実を、一体どう捉えればいいのか。
もう志村氏の新しい歌声を聴くことができないということなのか。
フジファブリックの新しいシングルを、アルバムを、待つ楽しみが無くなったということなのか。
新しいツアーグッズの善し悪しを、友人やめんまるさんと批評することができなくなったということか。
答えなどわからない。
今彼にできることは、ただ志村氏の冥福を祈ることのみである。
しかし、志村氏の「死」をまだ現実のものとして受け入れられていない彼は、ただただ呆然と空を見つめる。
頭の中には、フジファブリックの曲たちがぐるぐると回り続けている。
悲しい夜は更けてゆく。