アルキマワル人々

彼は、友人Kと二人で大晦日から元旦にかけての京都を、南から北へ向けて歩いた。

稲荷山から暮れゆく2009年に別れを告げ、下鴨神社で2010年の空が白むまで。


計19ヶ所
累計14時間(12/31 16時〜1/1 6時)
歩行時間13時間
総歩行距離約23km



この所業は、並大抵のものではなかった。
晦日の京都は今年一番、いや、彼が京都で過ごした4年間で一番の寒さを記録し、夜通し雪が降るという試練を彼らに与えた。


しかし、そもそも「寒い中を夜通し歩く」という修験のようなことをやろうという彼らは、そんな辛い状況にも決してめげなかった。


晦日の寒さは彼らの予想を上回り、降りしきる雪は彼らの口から弱音を吐かせたが、それでも、厳しい状況が重なるほどに、彼らは心の奥底でわけのわからぬ熱意をさらに煮えたぎらせた。



なぜなら、彼らは希代の阿呆とも言うべき変態さんなのである。



ただ、いくら変態な彼らでも、あまりの寒さや足腰の痛さに何度も心折れそうになった。

そして時には寒さも痛さも感じなくなりながらもなんとか下鴨神社に着き、大きなたき火にあたったときには、友人Kにして「原始人が初めて火をみつけたときの感動」と言わしめる感慨が込み上げたという。





彼らが他に類を見ない阿呆だということはもう十分なほどによくわかるが、さらに、以下の三つの点で、私は彼らを本物の阿呆だと認める。


まず一つ目は、14時間のうち座って足を休めたのが、ラーメン屋で夕食をとった約1時間だけだったということである。(ただ、あのラーメンは至上のうまさであった。)


別に彼らもあえて休まないことをモットーにしていたわけではないのだが、休むタイミングと場所がなかなかなかったのだ。
しかし後半、さすがにふらふらに疲れて「少し休もう」と百万遍マクドナルドに入ったときにも運悪く満席で座れなかったときには、もはやそれが必然であったということを彼らに感じさせた。



二つ目に、彼らはどこの寺でも除夜の鐘をつくことができたのに、あえてその列にならばなかった。
そして除夜の鐘をつかんとする人々を「除夜の鐘をつきたいという煩悩が、鐘をつくことで解消されてプラマイゼロやな」などと揶揄し、鐘の音もほとんど聞かずに歩き続けたのだ。
なんだかもったいないような気もするが、彼らがそれでよいのなら何も言うことはない。


しかし、彼にいたっては、19ヶ所も寺社仏閣を回っておきながら、最後の下鴨寺社で朱印と御神籤をひいた以外はまったく賽銭を入れず、一度も何も祈らなかった。
一体、彼は何を目指しているのか…。


極めつけの三つ目に、彼らはこの所業を、アルコールを一滴も飲まずに終始ハイテンションでやり遂げた。
いつもそうであるが、彼らはきっと脳内でアルコールを分泌できるのだ。
自分たちでも「多分今やったら検問引っかかる!」などと喜んでいた。

阿呆ここに極まれり。



彼らは、雪の降りしきる午前6時の下鴨神社で記念写真を撮った。







下鴨神社から出町柳に向かう途中、友人Kから出た疲労こんぺいとうやな!」という言葉は、彼らの本質を著している。



そして友人Kは、こう付け足した。



「ただし、この旅はこんぺいとうのように甘くはなかったけどな!」












2010年が始まった。
大学卒業を控える我々にとって、大きな変化の年である。