宵山リターンズ

piedra-blanca2010-07-16

ここ数日の激しい雨も上がり、いよいよ梅雨明けかと思われる今宵、彼は京阪電車に揺られて祇園四条の駅に降り立った。


京都では今日、祇園祭宵山が盛大に繰り広げられている。



彼が、この宵山の京都にこっそりと潜り込むことができるかどうかは、実に危うい賭けであった。


そもそも彼は今年の祇園祭に行くことなど考えていなかったのだ。
しかし、今週の水曜日あたりにふと気づいた。


あ、三連休か。


そしてふとどこかに行きたいと思った彼であったが、既に水曜日の仕事中。
行き先を決めてもこんな直前に泊まる場所の確保などできるはずがない。


そんな直前の申し入れを無料で受け入れてくれそうな人がいる場所…そうだ、京都行こう。


彼は、土曜日の京都行きを決め、何人かの知人に連絡を取った。
休学や就活などで心を病んでいると思われる友人にはついに最後まで連絡が取れず心配になったりもしたが、とりあえず土曜日の宿は大学時代の先輩の家に決まった。


そうして、満を待して彼は友人Kと会う約束をしようとした。
しかし、Kは土曜日の午後から大学院の講義があり、夕方から彼は先輩たちと会う。日曜日は他の約束があるため早めに帰らねばならず、なかなか予定が合わない。


今回はKとの集会を見送るか…そう決まりかけたとき、Kが最後のカードを切ってきた。


「金曜の晩うちに泊まれるか、聞いてみよか?」


Kは実家住まい。
「泊まるのならば早めの連絡を」というのが約束であったはず。
Kにとっても、この選択はまさに苦渋の決断だったに違いない。


もちろん彼も、前日にいきなり「泊めてくれ」などといけしゃあしゃあと要求して相手の迷惑もかえりみずぬけぬけと泊まりに行くような人間ではない。


「それはたいへんありがたい。しかしやはり迷惑だろう。Kが家でその話を持ち出したときに母君の表情にほんの少しでも陰りが見えたら、今回の話はなかったことにしよう。」

と提案し、返事を待ったのだった。


そうしてもう日付も今日に変わった頃、Kから連絡が来た。
Kの母君は大方の予想に反して、彼が今日泊まることを快諾してくれたらしい。
こうして、彼は今日の宿も確保した。



ところが。

彼が京都に向かうには、まだ難関があったのである。


それは、“彼の銀行の研修が17時にぴったり終わり、尚且つ支店の上司から「今すぐ支店に帰って来い」と言われなければ”というものであった。



研修のときは概ね“奇跡の定時帰り”が実現される。

そもそも、それが前提の“金曜京都計画”だったのだ。

しかし、講師の話が長引けば研修はいつまでも終わらず、たとえ早く終わっても、研修が終わったという報告の電話を支店に入れた際に上司が「戻って来い」と言えば、泣きながら支店に行かなければならない。


彼は朝から手に汗握りながら研修の進み具合を気にし、「戻って来い」と言われたらどうしよう、というシュミレーションを何度も繰り返した。



彼の緊張がピークに達した17時。
研修は定時に終わり、支店への電話も奇跡的に上司が外に出ているときで、直接話さずにすんだ。


その時の彼の浮かれようは常軌を逸したものが無かったとも言い切れない。


彼は17:20のバスに飛び乗り、急いで家に帰って支度をし、18:15頃に自転車で家を出て、18:55発の電車に乗った。
汗だくであった。


かくして、彼は今祇園祭の祭囃子の中に友人Kと共に立っている。


疲れていても、あの頃の行動力を。


彼は宵山の煌めきに、そう誓った。


彼に勝手にそんなことを誓われた宵山はいい迷惑だろうが、おかまいなしである。