DOOR TO DOORの2m

DOOR TO DOORの2mを、どうやって走れというのだ。



先輩いわく、「どこの支店にも一人はいるんや、ああいう天皇みたいな客が。」


もちろん、“穏やかである”という意味の比喩ではない。
“自分勝手な”もしくは“傍若無人な”というイメージの比喩である。


早朝、まだ営業時間になる前に裏口から訪れ、朝の忙しい時間に貸金庫やら外国送金やら、面倒な作業を増やしてくれる、取引先の社長。



「走れ走れ!ワシの会社では誰も歩いてるやつなんかおらんで。」



そうか。
お前の会社では、それでいいのかもしれない。
社員がかわいそうだが。


仕事を迅速にこなすということも大切である。


しかし、その理論がどこでも通じると思ったら大間違いだ。



伝票を応接室から営業室に持って行く、“DOOR TO DOORの2m”なんか、一歩でも走ろうものなら次のドアにぶつかってしまう。


それこそ、お前の一番嫌っているのであろう、“時間の無駄”というものだ。



揚句の果てに、いつも送金している“ユーロ”の記号を「トルコリラだ」と言い張って彼らを翻弄し(トルコリラ建てでの送金はできない)、最後の段階でまた一から伝票等をたて直させるという最大級のタイムロスを自ら発生させるていたらく。



一体お前は何なのだ。




そんな社長から、彼の支店宛てに、CDを何枚かもらった。


いわく、社長が“作曲”したクラシックの曲を、その社長の指揮により、どこかの大きなホールで“チャリティ”と銘打って行われたコンサートを録音したものらしい。


しかも、二枚組である。


これほど厄介なものはない。

往年の名曲ならばまだしも、自作自演の訳のわからぬ曲を、しかもライブ演奏のCDを聴いて、どんな感想を持てというのか。


しっかりと聴かなければちゃんとした感想は得られないし、何の興味も無いものに時間を割いてしっかりと聴くことのリスクは大きい。



考えあぐねた結果、彼はそのCDをどこかにしまい込んで忘れたことにした。


そして、こう呟いて眠りにつく。



「『走れ!DOOR TO DOOR』っていう曲があれば聴いてみてもいいかなぁ…。」