車窓の思索

今日、彼は銀行員として必ず受けなければならない検定試験を受けた。


勉強が嫌いな彼であるが、銀行員である以上避けては通れぬ検定や資格の試験。


勉強はしたくないが、受けるからには通りたいと、彼は今回、自分でもよくやったなぁと思うくらいにきちんと勉強をして試験に臨んだのだった。


にもかかわらず、なんだか結果は散々で、もしこれに落ちたら次はまた半年後か一年後で、人事の評価も下がって…と嫌なことばかりが思い浮かんで秋の空にため息をひとつ。



彼の合否はともかくとして、銀行員である以上、この先もずっと資格試験におわれることは確定している。


彼が銀行に入りたてのころ、何かのセミナーで、「休みに遊ぶなんて言語道断!」と言っていた中年女性の講師のが顔が思い出される。


もしかすると彼らは、余暇に何か文化的なことや自分の趣味に興じたり、ひとりでのんびり思索に耽ることができないように、そういう意図により、資格や検定でがんじがらめにされているのではないだろうか。


初めの頃こそ彼らはそれに抗おうと頑張って、試験の合間を縫って友人と会ったり、美術館に行ったりや旅行をしたり、そして一人でゆっくり考える時間を確保しようとする。
しかしだんだんそれにも疲れる。
いつの間にか家族も増え、みんなで何かするのはお金がかかるので諦める。
そのうち、休みの日に何をしたらいいのかもわからなくなる。
何か考える時間もない。


そうやって、計画的につまらない銀行員を生産しているのだ。


そう言い切れば、表現が過剰だろうか。



「人間である以上、常に問題意識を持ち、考え、成長していかなければならない」というようなことを、彼の高校時代の教師が言っていた。


彼も、そうありたいと思っている。


それがこんなに、難しいことだとは。