哀愁トレイン
いつも使っていた駅が、なんだかもう“自分の駅”ではなくなっている。
四条に行くにも大阪に行くにも、実家に帰るのにも、よくここから緑色の電車に乗った。
いつの間にか、そこが自分の駅になっていたのだと、今になって気づいた。
学園祭からの帰り際、友人Kと別れてプラットホームに立った彼は、いてもたってもいられなくなって泣いた。
心で泣いた。
春に引っ越して以来、大学周辺に足を運んだのはこれが初めてだった。
深い理由はないし、多分用がなかったから来なかっただけだろう。
でもなぜか、それは少し勇気のいることだった。
ほんの半年前まで過ごしていた、夢のような時間のカケラがまだそこに残っていて、それはきっととてもあたたかく彼を迎えてくれるに違いないけれど、彼にとってはそれが少し怖かったのだ。
大学では、学生たちが祭に繰り出し、それぞれの思いで今を謳歌していた。
よく行っていたコンビニの店長は、少しも変わらぬいで立ちで道を渡っていた。
何度となく通った道は、何の違和感もなく彼を運ぶ。
好きなことを学び、様々な講演に顔を出し、考え、時間を忘れて遊び、自転車を乗り回して京都を東奔西走縦横無尽。
そんな彼は、もういない。
そんなわかり切ったことを改めて思い知らされるのが辛くて、躊躇していたのだろうか。
結局、自分の住んでいたマンションには行かなかった。
そういえば、この日は沢山の人に会った。
もともと約束していた友人K。
なんとか会えた友人H。
更には、四条の大丸で偶然出会ったスペイン語の先生。
そして、ライブ会場でたまたま会った銀行の同期。
彼にとって古い人と新しい人、両方に偶然会ったのがなんだか象徴的で、彼は、なんとなく納得したような気持ちになった。
時は流れている。