思い立ったが吉日主義

彼は急遽、週末に弟の住む愛知県は知多半島の先っぽを訪れることにした。
昨夜弟と電話をしていて急に思いついたのだ。


しばしば、彼は唐突な行動をする。

思いつきの行動が多く、計画性のない生活だ。
といえばそれまでだが、彼はその性質を“思い立ったが吉日主義”と呼んで、あくまでも長所であると主張する。



基本的に、人は思いつきで行動することを嫌う。

なぜか。

思いつきの行動は、予期せぬことが起こりやすくうまくいかないことが多い上、疲れるからである。


言い換えれば、思いつきの行動をうまくやるためには、予期せぬことを回避する能力と、それをやり遂げる体力が必要なのだ。


それこそが、“思い立ったが吉日主義”の最大のポイントにして、人生に於いて最も失いたくないもののひとつであると、彼は言う。



「思いつきの行動は計画性に欠けると言われがちであるが、それは断じて違う」とは、彼の持論である。


思いつきを行動に移すためには、発案から実行までの短い間に迅速かつ綿密な計画を立てる必要があり、前もって計画するときよりも高度な計画性が必要なのだ、と。
そのためには体力がいるが、多くの人はそれを理由に諦めてしまうのだ、と。



そんな、普通よりも疲れるような事態に陥ること自体が、計画性がないと言われる所以であるということは彼には伝えないでおく。
しかし確かに、思ったことを行動に移すのはなかなかに大変なことである。


旅行の場合、日程調整に泊まるところや往復の手段の確保、そこに行って何をするのかなど、決めることが多い。


「思いつきはしたが、面倒だし疲れているので諦める。そんな社会人にだけはなりたくない」という彼の主張にも、なんとなく頷ける。


だから彼は、行く。
疲れていようが、関係ない。
体力が足りなくて疲れが翌週に響くのは彼の主張と矛盾している気もするが、そんなことも関係ない。


「思い立ったが吉日主義!」



彼は、少し困った人である。