Gran Terremoto

昨日、14:46。


職場で机に向かっていた彼は、不意に目眩を感じてイスにもたれかかった。


「え?全然しんどくないのにこんなに目眩するってどういうこと?きっとこのまま意識失ってしまうんや…」


なんだか歪んで見える金庫の扉を見ながらそう思っていたとき、誰かが「揺れてる!?」と言って、地震だと気づいた。



それからはもう、仕事が手につかない。
なぜか平然と仕事をしながら「大変みたいやなぁ」と話す支店長に苛立ちながら、インターネットでなんとか現状を把握しようと努めたが、入ってくる情報がいきなり理解の範囲を超えていてなんだか現実味がない。


他の行員に「車とか流れてたぞ!」と得意げに話す支店長に「それどころじゃないやろ!!」と心の中で突っ込みながらやっと家に帰り、テレビを見るとあらゆる情報が一気に流れ込んできて、もう何が何やら分からなくなる。


目の前の映像が、今、この国で、同じ地続きの場所で起きていることだとは、理屈で分かっても理解が追いつかない。


それでも、被害は確実に出ている。
様々なところを震源とした大きな地震が、次々と起きている。


東京にある祖母の家とは連絡が取れたが、叔母によると、彼の祖母は日帰り旅行で千葉の方に行っていて帰ってこれず、北関東に住む彼の親戚たちとは、夜が更けても連絡が取れない。


思ったより−全くそこまで考えがめぐっていなかったが−身近なところに影響が出て初めて、やっと現実味を手に入れるのだ。
人間の、不意に起きた事象を一度に理解できる範囲というのは、驚くほどに狭い。



一晩明けると、被害者・行方不明者の数が数倍に膨れあがっていていきなり訳が分からなくなる。
長野や新潟でも震度6以上の地震が起きていて、地震の範囲が日本全体に広がっているようで、彼は恐怖を覚えた。
彼の住む地域も、近いうちに必ず大地震津波が来ると言われ始めてからすでに久しい上、今回の地震はだんだん南に向けて広がっているからだ。
想像もできないほどの圧倒的な津波の現実を目の当たりにすると、もはや為す術がないという、無力感に襲われる。



家族と話すと、昨日連絡が取れなかった親戚の状況が明らかになってきた。


祖母はようやく昼頃にバスが東京に着き、何とか家に帰り着いたらしいが東京のコンビニからは食料がすべて消えているらしい。
埼玉の親戚は食器棚の食器がすべて割れたらしい。
茨城には6世帯以上の親戚―これも彼が思っていたより多かった―がいて、○○おばちゃんは瓦が落ちて外壁が崩落し、××おじちゃんの家は瓦が落ちて雨漏りするので、△△おじちゃんと□□おじちゃんがブルーシートを持って行って屋根にかけたらしい。
ライフラインは依然止まったままだが、※※おじさんは◎◎おじちゃんの所へ水をもらいに行ったし、××おじちゃんの所には井戸があるのでトイレは流せるようだ。
しかし○○おばちゃんのところはガスコンロもないので料理ができず、買いに行っても店が崩れていて買い物もできない状況であるが、□□おじちゃんがガスコンロを持って行くとか行かないとか。


そんな身内の状況を聞きながらも彼は、「ああ、兄弟が多いっていうのはたのもしいなぁ。」などと少しサマーウォーズをダブらせて自らの親戚を思い出していたのだから、この深刻な事実を現実として受け入れられているとは言い難い状況である。


夕方になると、関西からも電力を供給するので、関西の人々も節電に協力してほしいという情報が流れ始めた。

いよいよ、実際の生活にも影響が出始めたというわけだ。


一体、この地震は人々にどれだけの試練を与えれば気が済むのだろうか。


人間の想像を遙かに超えた圧倒的な力の前に、我々は一体何ができるのだろうか。


いつもと変わらぬ、のんびりとした週末を過ごしていることに肯定と否定を繰り返しながら、彼は眠りについた。