宵山闊歩録

暮れゆく宵山の阪急四条河原町で高校の後輩と落ち合った彼は、四条通を西へ向かった。


初めはまだすんなりと歩けたが、長刀鉾のあたりまでくると、急に足が止まる。



長刀鉾ではもうお囃子が始まっていて、珍しそうにそれを見上げたり、カメラに納めようとする人々で流れが澱んでいる。


人が詰まると、途端に汗が噴き出る。


これぞ、宵山である。


烏丸通りを抜けると、右手に函谷鉾、左手に月鉾が見えた。

彼は月鉾で手ぬぐいを買い、烏丸通りへと戻る。


そこを北へ少し上ると、大垣書店がある。


暑さと人混みですでに疲れてしまった彼らは、さりげなくエスカレーターに乗り、涼しい書店の中に吸い込まれていった。


彼らは書店で漫画を眺めるでもなく、小説を語るでもなく、いろいろな地図を見て語り合うというマニアックな手法で、約1時間を過ごした。


外に出ると日はすっかり暮れ、宵闇に山鉾の提灯が浮かび上がっている。


彼らは、息の詰まるような宵山の小路をまんべんなく、かつ気の向くままに歩き回った。


いたるところに様々な山鉾が置かれているが、彼が特に気に入っているのは、蟷螂山と鯉山である。




からくりで動く大カマキリを屋根の上に鎮座させている蟷螂山は、これまたからくりで動くカマキリが運んでくれるおみくじが人気である。

彼がその大カマキリの勇姿を山鉾巡行で見たのはもう2年前になるが、今でもその感動が忘れられないという。





そして、提灯に朱い色で紋が描かれている鯉山は、滝を上る鯉がご神体である。

「この朱に祇園祭の魅力が詰まっているのだ」と、そんな主観的見解を述べて後輩を困らせる彼は、大提灯を見て今年の夏を噛みしめた。








宵山の喧噪から抜け出した彼らが、四条大宮のお魚がおいしい居酒屋で夕食をとり終えたときには、23時をとっくに回っていた。


時刻表によると、後輩の家に行くのに乗る予定だったバスも、15分ほど前に最終となっている。





彼らは若い。


話すこともたくさんある。


夏の京都の空気は、夜でも容赦なくねっとりと彼らにまとわりついたが、

四条から北大路までの道のりは、それほど辛いものではなかった。




とはいえ、その道のりは決して近いと思えるものでもなかったことは、言うまでもない。
後輩の部屋についた彼らは噴き出る汗をシャワーで落とし、後輩が用意してくれた缶チューハイで乾杯をした。


彼らは、いろいろなことを話した。

大学院で、その研究にすべてを捧げている後輩の話を、彼は畏怖にも似た気持ちで聞いた。


それぞれが布団に入り、明かりを消してからも、後輩の研究のこと、自分たちの将来のこと、社会のこと、最近読んだ本のこと…歩き疲れているにも関わらず、彼らの話は明け方まで尽きなかった。





翌朝、10時頃目覚めた彼らは、部屋のテレビで山鉾巡行の中継を見ながら、パンを食べ、野菜ジュースを飲んだ。

「これこそ、京都に住んでいる者の楽しみ方ではないか!」


灼熱の四条河原町を眺めながら、しみじみと彼は、そんなことを思ったのであった。