電車に帰る人々。
彼は、電車が好きである。
と言っても、車両や路線、その歴史などに興味があるわけではない。
電車に乗っている時間が好きなのだ。
読書をするにしても、音楽を聴くにしても、何かを考えるにしても、電車に乗っているときが、一番集中できる。
毎日乗ってもいいくらいだと言いながらも、電車通勤は絶対に嫌だと言い張るわがままな彼は今宵、仕事を終えて一度家に帰ってから駅へ向かい、電車に飛び乗った。
電車で二時間ほどの、大学のときの先輩の家へ向かう。
彼は来週水曜日から一週間ばかり、友人Kとイタリアへ行くのだが、その先輩は2年ほど前にイタリアへ行ったことがあるので、少し話を聞きに行って、イタリアのイメージを膨らまそうという訳である。
その先輩は、彼が今年の二月に、不思議な寄せ集めの6人でベトナム・カンボジアへ行ったときのメンバーでもある。
今日、彼は電車で“聴いている”。
そして、“読んでいる”。
聴いているのは、先週発売されたBase Ball Bearのアルバム『新呼吸』で、読んでいるのは、それが特集されている音楽誌『Talking Rock!』である。
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そのよさを、『Talking Rock!』が倍増させている。
一見して、開かれた、公共の空間であるはずの電車。
しかし、そこでは誰もが公共から自らを切り離し、自分の空間に入り込む。
小さな空間にそれぞれがプライバシーを持ち寄り、その中身を晒すことのない自分を晒しながら、目的地へ向かう。
たくさんの乗客の中には、この電車に乗っている時間こそが唯一“自分の時間”になっている人もいるのではないだろうか。
彼は時々、わからなくなることがある。
家と学校や、家と職場を結んでいるだけの電車。
しかし、知らず知らずのうちに、この電車こそが、家や学校や職場よりも、もはや彼らの本当の居場所であり、目的地になっているのではないだろうか、と。
「過ごしている実際の時間と、その密度や重要性は必ずしも比例しない」
というのが彼の持論であるが、その真意を伝えるには、私は少し言葉足らずかもしれない。
それもまた、彼が電車に揺られながら考えたことである。