哀しい仕事

彼は、高校時代の同級生とばったり遇った。


場所は、彼の座っている融資窓口。


実際に受けていたのは隣の窓口の先輩だったのだが、どことなく見かけたことがある気がしたのだ。

そうなると気になって仕方がない。

どうにかして確かめたい。

彼は、先輩が書類の処理をしている間に“インターネット・モバイルバンキングの勧誘をするていで”話しかけ、ちゃっかり申込書類を書いてもらいながらそれとなく聞いてみると、やはり同じ高校であった。


名前にも見覚えがなく、顔もあまり覚えていなかったのは、彼とその同級生の接点が“高校1年の時に一瞬だけ、その同級生が彼の所属していた軟式野球部のマネージャーだった”というものだけで、部活で数回顔を合わせたことがあるのみで、話したことさえなかったからである。


それだけ微妙な接点の同級生というのは、再会しても大した感動がない。
一通り驚いた後、「世間は狭い」という感想を言い合うくらいのものである。



それどころか、彼はなんだかとても悲しくなった。


融資窓口に来るということは、融資を受けに来るということだ。


さらに彼は、申し込み内容と資料を見て唖然とした。

その同級生が申し込んでいるカードローンの種類と額、そして、口座に毎月振り込まれている給与のあまりの少なさに、である。


大手の会社がやっているカードローンは、たいていどこの銀行でも受付できて、簡単に借りられる。
それゆえ、利率も高い。
毎月1万円の固定返済となっているが、これも落とし穴である。


借りる側からすれば、例えば50万円借りたとして毎月1万円ずつ返済しているといえば、元本が1万円ずつ減っているか、利息を含めてもだいたい8000円くらいは返せていると思うものなのではないだろうか。

少なくとも、私ならそれくらいの感覚である。


ところが、50万円借りたとして、返し始めてすぐの実際の内訳は―彼もついこの間客からの問い合わせで調べて驚愕したのだが―返済1万円に対する元本の額がだいたい3000〜4000円ぐらいなのだ。
つまり、返している金額のほとんどが利息なのである。


ATMで一気にたくさん返済すればそれだけ一気に元本を減らすことはできるが、そんなことができるならそもそも借りていないだろう。


そのまま普通に毎月返していけば、高い利率の(本当に高いが)“元利均等返済”ということになるのだろうが、現実はそうはいかない。
逆に、借りた分が底をついて、返し終わってもいないのに、今まで返済した分からまたローンの極度額まで借りてしまう、というのがよくあるパターンである。


そうなると、もうそこからは抜け出せない。

それを何回か繰り返すうちにだんだん苦しくなり、カードローンの極度額増額を申し込む。
しかし、それも何度もしないうちに銀行から見切りをつけられて断られるようになる。
最終的に行き着くところは、“もっと簡単に借りられるところ”である。


あっというまに、いとも簡単に、多重債務者だ。



彼は、その同級生についても、容易にその“あまり遠くない未来”が想像できた。

よっぽど思いとどまらせたかったが、事情も知らないし、そんなことができる立場でも間柄でもない。
胸が詰まるような思いである。




彼は、中学の時には少しばかり優等生ぶりを発揮していたので、彼の地元でも随一といわれる公立高校に通うことができた。
その同級生が卒業後どうしたのかは定かではないが、大多数がやんごとなき方向へ進学をするその高校において、おそらくそのように進学したのであろうと考えられる。



「あの高校を出て、その結果がこれなのか…」


これは今まで覚えたことのない感覚だったので、彼自身、自分がそう思ったことに驚いた。
彼は、自分がそんな陳腐なことを考えたことを反省しつつ、そういえば、高校の入学式の時に、PTA会長のおじいさんが「君たちはエリートなのだ」と恥ずかしげもなくのたまったことに嫌悪感を覚えたことを思い出した。


そうして、とりあえず自分を納得させるために、「これが不況というものの現実なのだ」と理解することとしておいた。



とにもかくにも、融資の窓口で知人にあうということはあまりうれしくないことだと知り、何とも切ない気持ちになった彼であった。