送別会

彼の務める銀行の移動が発表され、送別会が催された。


今回の異動で、融資相談課時代からお世話になっている人、この一年、最もお世話になった営業課の課長代理など、5人の転出が決まった。


特に課長代理は、「こんなに優しい人はなかなかいない」とそこかしこでささやかれるほどの人物で、かつて、半年で3億円もの投資信託を売ったという伝説を持つ。
裏返せば「甘い・事務が雑・適当過ぎる」という厳しい声もあったようだが、彼にとっては唯一無二の存在である。
彼は、外交のすべてをこの課長代理から学んだ。
支店長からいくら理不尽に詰められても、すべて自分で受け止め、それを部下にぶつけることは決してなかった。
彼は、その様子を「スポンジのようだ」と表現している。


この課長代理でなければ、彼はとっくに銀行員という仕事に音を上げていたに違いない。


また今回の異動では、彼と同期で今の支店に配属された事務職の女の子も、転出することとなった。
彼女もまた、この支店で社会人一年目を迎えた彼にとって大きな存在であった。
辛いことがあってもなくても、同期でよく食事に行き、励ましあったり愚痴を言い合ったりして心を晴らした。


今回の異動で、彼と同期の人が、支店からいなくなる。
「もしかすると、ぼくが異動することもありうかも…」とこっそり思っていた彼にとって彼女の異動は青天の霹靂で、「まさか、同期で一番長くこの支店にいることになるとは…」と、いいのか悪いのかわからない感覚をしみじみ感じている。



送別会の席で、彼は久しぶりにとにかくたくさん飲んだ。
そしてパートさんと楽しく話したり、支店長からの「お前には期待してるんや。来期はこうこう、こういうことをしてほしいと思ってて…」という言葉に内心「いや、それが途中で辞めるんですけどねぇ…」と思いつつ、言葉では「いやいや、ぼくなんかにできますかねぇ〜」などと謙遜するふりをして過ごした。



一時間半ほど飲み続けてすっかり気分もよくなったころに、転出される方の挨拶が始まった。
流れとしては、転出する人が挨拶をして、あらかじめ決められた人が花束を渡し、手紙を読む、というものである。
そのやり取りを見ているうちに、彼はいてもたってもいられなくなってきた。


彼の同期の一連のやり取りが終わり、進行役が次の人を指名しようとしたときに、彼は声と手を上げた。


「ハイ!!ハイ!!」


そして隅っこの席から真ん中へと躍り出て、こう続けた。


「すみません、全然予定にはないんですが、酔った勢いで言わせてください!!」


彼は、この機会でなければ決して口にすることのなかったであろう同期に対する感謝の思いを、たどたどしくも、しっかりと届けた。


そしてそれと同じことを課長代理のときにもやり、最終的には熱い抱擁を交わした。



予定にないことをしゃしゃり出てやることには迷いもあったが、思いを伝えられてよかったし、あとで他の人にも「一番よかったよ!」などと褒められ、彼にとっては思い残すことのない送別会になった。



さて、彼のときには送別会など開かれるのであろうか。
本部も支店長も収益や利益率に目くじらを立てている今、銀行を去る者に対してそんなコストをかけるとは考えにくいが…。